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ベンゾジアゼピンの離脱症状はいつまで続く?【後編:断薬1〜5年目】

こんにちは。

野田です。

ベンゾジアゼピンの離脱症状っていつまで続くんだろう?

今日はこんな方向けに記事を書いています。

僕は離脱症状に苦しむこと、5〜7年。

今日はその過程を書いています。

宜しくお願いします。

ベンゾジアゼピンの離脱症状はいつまで続く?回復ステージを解説!

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:必ず回復する

まず、離脱症状というのは、必ず回復していきます。

なぜなら、何事にも慣れるから。

なので今、離脱症状に苦しんでいる方も必ず回復します。

良くなることを信じて、がんばりましょう。

さて、ここからは、どんな感じで離脱症状が取れて行ったのか?

1年目〜5年目までを見て行きたいと思います。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:1年目

まず、1年目は、正直、回復が見られません。

でも、少しずつ、少しずつ、良くなっていきます。

僕も、初めの頃は、

  • 自分が誰かわからない
  • ここがどこかわからない

こんな状態でした。

まさに「極度のうつ状態」ですよね。

しかし、2016年9月下旬。

僕は、就労移行支援に行くことになりました。

理由は、

  • 働きたかった
  • お金が欲しかった
  • デイケアの人間関係に消耗していた

こんな理由から。

なので、ここがどこかもよくわからない状態で就労移行支援に行きました。

当時36歳でした。

ところが、働き始めた初日、

「おっ!今、自分は洗い物をしている!!」

と感じたのです。

そう。

これが、僕の「僕」との出会い。

「あ、自分がいる」と感じたのです。

つまり、この辺りから感覚が徐々に戻り始めました。

当時の日記によると、飲んでいた薬はこんな感じ(↓)

  • ソラナックス:1錠
  • リーゼ:1.5錠
  • ロラメット(睡眠薬):2錠

こんな感じで25錠が一気に4.5錠ほどに。

なので、薬を飲んでいるとはいえ、とても辛かったです。

でも、ご安心ください。

  • 働く
  • 瞑想する
  • 人と接する

ことで徐々に良くなります。

20年、飲み続けた僕がそうだったからです。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:1年半目

2017年の春のこと。

その日僕は、ぼんやりと、お風呂に入っていたのです。

そうしたら、

あっ!!今、洗面器にピントが合った!

こんな状態が訪れました。

ここでも「以前にはない回復」が訪れました。

なぜなら、それまではあらゆるものと「ピント」が合わなかったから。

なのでこれを「洗面器発見事件」と個人的に呼んでいます。

それからも徐々に良くなっていきました。

  • 新聞が読める!
  • テレビが見れる!

こんな状態になっていきました。

離脱症状から1年半くらいのことでした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:2年目〜3年目

2年目〜3年目。

こちらは大きな変化は見られません。

依然としてこんな症状が現れました(↓)

・耳鳴り ・肌のかゆみ

・感覚異常 ・離人感覚

・神経が過敏になる

こんな感じで、ものすごい神経過敏に。

なので、この症状だけが残りました。

しかし、だいたいここがどこかもわかるし、一人で東京へプチ旅行。

ほぼ、「うつ」は回復しました。

でも、依然としてこんなことが苦手でした(↓)

  • 人と話す
  • 人と距離が近くなる

こんな感じで超神経過敏。

なので、まだまだ日々は苦しい日々は続きます。

そして当時僕が飲んでいた、薬の量はこんな感じ(↓)

  • ソラナックス:1錠
  • リーゼ:2錠
  • ロラメット:2錠

こんな感じで1年目より若干増えたかな?という感じ。

なのでこの辺は、もう諦めでした。

断薬・減薬の限界です。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:3年目

3年目のこと。

僕は離脱症状以来、初めて一人で上海へ行くことになりました。

2年続けた就労移行支援(仕事)を辞めたからです。

そのお金で3泊4日で行ってきたのでした。

そして2018年春。

僕は一般企業への就職が内定!

「就労移行支援」がいよいよ、実を結んだのでした。

ただ、離脱症状の回復はここまでが限界。

あとは、ひたすら、「神経過敏」との戦いでした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:4年目〜5年目

4年目〜5年目は、色々とありました。

ただし、離脱症状以外のことです。

例えば、一人暮らしをしたり、東京へ単身移住したり。

ただ、このあたりは、離脱症状とあまり関係ないので、伏せさせてください。

当時まだ38歳〜39歳。

若気のいたりでした。

仕事も辞めたし、貯めたお金で、海外旅行もしました。

まあ、要するになんもかんも嫌になって、ほっぽり出したわけです。

もう、離脱症状と戦うのも、仕事、家族との諍いも、限界でした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:5年目

5年目のこと。

そんな僕に「バチ」が当たります。

つまり、徐々に借金が増えていったのです。

生活も苦しくなって行きました。

そしてこの頃から、

「誰かにつけまわされている」

「変な声が聞こえる」

こんなことが感じられました。

統合失調症への罹患でした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:5年目のラスト

離脱症状から5年目。

東京で一人暮らしをしていた僕は、また実家の両親の助けを求めに行きます。

「お前は逮捕だ!」

「おーい、隠れてないで出ておいでよ」

こんな声が聞こえた始めたからです。

なので僕は東京から退避。

そのまま即入院となりました。

統合失調症との出会いでした。

そしてそれが離脱症状とのお別れ

なぜなら統合失調症の薬に長期安定成分があったからです。

そのため、極端な神経過敏も耳鳴りも消滅。

当時40歳のことでした。

離脱症状にも何事にも終わりが来る

そして最後。

僕はこんな薬に切り替わりました(↓)

  • ロナセン:4〜5錠
  • 睡眠時:2錠

こんな感じで、統合失調症のみの薬に。

これですべてが終わりました。

統合失調症の薬として、飲まなければいけなくなったからです。

減薬や断薬に成功したのかは、いまだにわかりません。

確かに飲む薬の量は減ったけど、それを果たして減薬と言うのか?

また減薬や断薬の成功と言うのか?

よくわかりませんよね。

でも実際、うつの自分もいないし、神経過敏の自分ももういません。

僕の場合は、それでよしとしました。

離脱症状やうつとのお別れでした。

まとめ

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

何かの教訓みたいになれば幸いです。

ではまた。

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