精神安定剤

ベンゾジアゼピンの離脱症状はいつまで続く?【後編:断薬1〜5年目】

こんにちは。

野田です。

ベンゾジアゼピンの離脱症状っていつまで続くんだろう?

今日はこんな方向けに記事を書いています。

僕は離脱症状に苦しむこと、5〜7年。

今日はその後半の過程を書いています。

宜しくお願いします。

ベンゾジアゼピンの離脱症状はいつまで続く?回復ステージを解説!

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:必ず回復する

まず、後半の回復過程は、こんな感じで回復しました(↓)

1年目:自分が誰だかわかる

1年半目:新聞やテレビが見れるようになる

2〜3年目:大きな変化はないが、少しずつ回復

4〜5年目:離脱症状は膠着状態

5年目:統合失調症罹患

こんな感じで、大まかに5年ほどで回復。

なので、おおまかな回復ステージは5年です。

では、どんな感じで離脱症状が取れたでしょうか?

1年目〜5年目までを見て行きたいと思います。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:1年目

1年目は正直、あまり変化は見られませんでした。

なぜなら、かゆみも離人感覚もあったから。

なので、かなり絶望的な日々を過ごすことになります。

例えば、

  • TVが見れない
  • 新聞が読めない
  • 人と話せない

こんないくつもの症状が出現。

なので、一気断薬はやめましょう

心からの願いです。

ただ、少しずつ、少しずつ、回復。

徐々に、出来ないことや離脱症状が和らいでいきました。

  • 家族となら話せる
  • 徐々にピリピリした感じが取れる

こんな状態で、少しずつだけど回復。

いわゆる「慣れ」ってやつですね。

しかし、2016年9月下旬から、働くことに。

就労移行支援で1日2時間、働くことになったのです。

断薬・減薬開始から1年半が経っていました。

働き始めたきっかけは、

  • 働きたかった
  • お金が欲しかった
  • デイケアの人間関係に消耗していた

こんな感じで、お金が欲しかったから。

なので、自分が誰かもわからない状態で働きました。

ところが、働き始めた初日、

おっ!今、自分は洗い物をしている!!

と気付いたのです。

これが、僕の「僕」との出会いでした。

この辺りから感覚が徐々に回復。

1mmずつ、1mmずつ回復していきました。

当時の日記によると、(↓)

  • ソラナックス:1錠
  • リーゼ:1.5錠
  • ロラメット(睡眠薬):2錠

こんな感じで、25錠飲んでいた精神安定剤が4.5錠に。

なので、まだまだ少ない量で我慢していました。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:1年半目

2017年の春のこと。

僕は、ぼんやりと、お風呂に入っていました。

その時、

あっ!!今、洗面器にピントが合った!

こんな状態が訪れます。

つまり、洗面器が「ある」ことに気付いたのです。

これを個人的に「洗面器発見事件」と呼んでいます。

そこから徐々に良くなっていきまして(↓)。

  • 新聞が読める!
  • テレビが見れる!

こんな感じで、新聞もテレビも見れる状態に。

なので、1年半ほどで大きな症状は取れました。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:2年目〜3年目

断薬・減薬、2年目〜3年目。

こちらの時期は大きな変化は見られません。

なぜなら、こんな症状があったから(↓)

・耳鳴り ・肌のかゆみ

・感覚異常 ・離人感覚

・神経が過敏になる

こんな感じで、まだまだ離脱症状が続いたから。

なので、上の症状だけ依然残りました。

しかし、だいたい自分が誰かもかもわかるし、一人で東京へも行ける!

なのでほぼ、「うつ状態」は回復ですね。

しかし、まだこんな症状が残っていました(↓)

  • 人と話す
  • 人と距離が近くなる

こんな感じで人と話すことが苦手。

なので、まだ日々は苦しい日々は続きました。

当時僕が飲んでいた、薬の量は(↓)

  • ソラナックス:1錠
  • リーゼ:2錠
  • ロラメット:2錠

こんな感じで1年目より若干増えた感じ。

なのでこの辺が、減薬の限界といった感じでした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:3年目

3年目のこと。

僕は離脱症状以来、初めて一人で上海へ行くことになりました。

2年続けた就労移行支援(仕事)を辞めたからです。

そのお金で3泊4日で行ってきました。

とても楽しかったです。

そして2018年春。

僕は一般企業への就職が内定!

「就労移行支援」がいよいよ、実を結んだのでした。

ただ、離脱症状の回復はここまでが限界。

あとは、ひたすら、「過敏症状」との戦いでした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:4年目〜5年目

4年目〜5年目は、色々とありました。

なぜなら、一人暮らし、東京への引越しと盛りだくさんだったから。

なので、離脱症状以外で苦労しました。

ただ、このあたりは、伏せさせてください。

当時まだ38歳〜39歳。

若気のいたりだったから、です。

ただ、仕事も辞めたし、貯金で、海外旅行もしました。

もう、離脱症状と戦うのも、仕事、家族との諍いも、限界でした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:5年目

5年目のこと。

そんな僕に「バチ」が当たります。

つまり、徐々に借金が増えていったのです。

生活も苦しくなって行きました。

そしてこの頃から、

「誰かにつけまわされている」

「変な声が聞こえる」

こんなことが感じられました。

統合失調症への罹患でした。

ベンゾジアゼピンの回復ステージ:5年目のラスト

離脱症状から5年目。

東京で一人暮らしをしていた僕は、実家へ助けを求めに行きます。

「お前は逮捕だ!」

「おーい、隠れてないで出ておいでよ」

こんな声が聞こえ始めたからです。

なので僕は東京から退避。

そのまま即入院となりました。

統合失調症への罹患でした。

そしてそれが離脱症状とのお別れ

なぜなら統合失調症の薬に長期安定成分があったから。

そのため、極端な神経過敏も耳鳴りも消滅。

当時、40歳のことでした。

離脱症状にも何事にも終わりが来る

そして最後。

僕はこんな薬に切り替わりました(↓)

  • ロナセン:4〜5錠
  • 睡眠時:2錠

こんな感じで、統合失調症のみの薬に。

これで離脱症状が終わりました。

減薬や断薬に成功したのかは、いまだにわかりません。

なぜなら、薬の量は減ったけど、統合失調症の薬を飲むことになったから。

なので、未だによくわかりません。

でも、うつの自分もいないし、神経過敏の自分もいません。

なので僕の場合は、それでよしとしました。

減薬・断薬から5年3ヶ月のことでした。

まとめ

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

ではまた。

スポンサーサイト

-精神安定剤